活字をこえて

製本と修繕を習っています。本に関することや考えたことの記録。

20181123【製本修行】弟子入り2日目 綴じ&背固め

欲しかった歌集が増版されると聞いて、紀伊國屋にしかまだ入っていないらしく、調べてみるとやっと本町店に在庫僅少とあり、いてもたってもいられず朝一番で大阪へ行く計画を立てた。祝日は開店が1時間遅く、やきもきしながら向かいのベローチェで『編む人』(南陀楼綾繁)を読みながら待つ。
店員さんに聞くつもりで、入店してすぐに検索端末から紙片を印字したが、探してもらってるうちに自分で見つけてしまった。本が呼んでいたのだろう。こういうことはよくある。
梅田で友人と待ち合わせする時間まで少しあったが、すぐにでも読みたかったので目当ての喫茶店には先に入った。高架下で、電車が通るたびに頭上でゴトゴトと音がする。ページをめくり、珈琲と煙草と上品な香水の匂いの中で、真新しい紙のにおいをかぎわけた。中身はもっと凄かった。
調べすぎたせいで、わたしの携帯端末には「やがて」と入力すると「秋茄子へと到る」が予測変換される。『やがて秋茄子へと到る』(堂園昌彦/港の人)の初版は高騰して古本で2万にまで上がった。当初は活版だったらしい。鎌倉の小さな出版社港の人は、活版の詩集などの自費出版などを出している出版社。
1ページに1首の短歌、余韻は余白だ。1首1首味わいながら、これが活版で読めたらどんなにエモーショナルだろうと思わずにいられなかった。
フランス装という装丁方法も初めて実物を見た。表紙の題字だけ活版のようだ。どれも製本の勉強を始めてから知った言葉だ。
友人とサンドイッチを食べ、近況を語り合い、慌てて阪急に飛び乗って修行2日め。今日は綴じと背固め。綴じはだんだん慣れてきたが、酸性紙はやはり怖い。前回ボンドで輪の部分を補強したが、カピカピになってしまった。ライスのりがいいかもね、とのこと。紐の本結び(?)がむずかしいので要練習。
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見返しに真っ赤な画用紙を選ぶ。化粧断するのにモーターを動かし、けれど酸性紙は劣化が気になる。寒冷紗を巻いて万力で堅め、本結びの練習をして本日も2時間。とりあえず乞食王子を完成させて、ガリバー他はまた次に考えよう。
家の反故紙を使って綴じの練習をしよう、ノミで穴を開けてダブルクリップで留めたらなんとかならないかな。
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海外のものと思われるおやつをいただいた。なんだかいつも細やかにしていただいている、素敵なお茶の時間。

20181112【製本修行】教材探し

※時系列は前後しています※

仕事を定時で切り上げ、久しぶりに母校へ。修繕の練習になるような廃棄本があるとしても、アテはそんなにない。古本屋にはだいたい売れる状態のものしか置いてなく、昨日訪ねた古本屋で聞いたところによると、だいたい自分で修理してしまうそうだ。しかし母校は何ヶ月も前に大々的な引っ越しをしたばかりで、タイミングが遅すぎたかもしれないと半ばあきらめの気持ちで地下鉄に乗る。はたして見知った恩師はいらっしゃるだろうか、卒業して7年、市民に開放している大学とはいえ、顔を忘れられていたら自己紹介から始めなければいけない。
もんもんとしつつ地下鉄を降り、マントの紳士とすれ違う。絶対あの人どこかの学科の教授だ、見覚えはないけど絶対そうだ。と思わず笑みがこぼれる。そして10歩も歩かないうちに、今度は地下道を向こうから歩いてくる女性に目が吸い寄せられた。「林先生!」先生は驚いて私を見留め、ぱあっと笑顔で両手を広げた。抱擁こそしなかったものの、先生は私のことがわかったようだった。「学科の名称が変わった最初の年の卒業生です」念のためにそんなことを言わなくても、先生は本当に覚えてくれていたらしい。立ち話に恐縮しつつも近況を報告し、なぜ久しぶりにここを通りかかったのか聞かれた。機を得て事情を話すと、先生の、一見冗長な語り(を懐かしく楽しみながら)の中で「ダンボールに入れてどこかへやったまま、ホラみんな年寄りになってどうにもできないでしょ。最近新しい若い先生が入って馬力があるから、片付けたりしてくれている動きがある」というようなことを話してくれた。我が意を得たり!さすが、そういうおおらかな(?)ところが我が母校らしい。ただ、勝手に廃棄(譲渡)していいものかどうかわからないから、今週の教員会議にかけてくれるとのこと。藁にもすがる思いでお願いしておいた。聞けばこの時間に大学へ行っても、もう居残っている教授はいないらしい。恩師に挨拶したかったが、講義が終わるとお帰りになったそうだ。林先生に道中で出会うというのは奇跡だったにちがいなく、ちょっとでもモタモタしていたら頼る人の誰もいない不慣れな新しい校舎で途方に暮れていたことだろう。巡り合わせに感謝しながら手を振って分かれ、それでも図書館くらいは見ていこうかと思ったが、考え直して元来た地下鉄に飛び乗った。このまま、昨日は日曜定休で行けなかった古本屋に行こうと思ったのだ。専用のウェブサイトがなく、唯一店舗情報が記載されている商店街のウェブサイトを見ると営業時間内に滑り込めそうだ。地下鉄を乗り継いで尚学堂さんへ。
果たして尚学堂は閉まっていた(ウェブサイトは誤った情報を掲載していたようだ)。ショックを受けつつ、目に入ったインターホンを悪あがきで押してみると、なんと開けていただけることになった!感謝しながらも手短にいこうと先に事情を話す。お店の方もいろいろと探してくれたが、説明が通じず和本を持ってこられた。そこで初めて、洋本の糸綴じじゃないとだめだということに気付いた。つまり本を開いてみなければわからない。背表紙も見ず内容も読まずに本を選ぶのは生まれて初めてだったため、すんでのところで情事本を掴んでレジに行くところだった、直前で慌てた。興味深いにはちがいないが、教材にするには不適切だ。そうして手頃な3冊を入手した。『乞食王子』(マーク・トウェイン/福知狂介訳)、『ガリバー十六年七か月の旅』(ジョナサン・スウィフト/筒井敬介訳)、『散文家の日記』(林芙美子)。なぜか100円割り引いてもらえた。次はゆっくり買い物にくることを誓って辞する。
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お店の人に聞いてわかったことがある。本の大幅な修繕は改良本になって“しまい”、価値が下がるとのこと。コレクターによっては、手の加えられていないものでなければ意味がないそうだ。本の修繕のニーズがあるとすれば、古本屋ではなく、それでも今後のことを考えて修繕する必要を感じたコレクター側のほうで、たまに古本屋に修繕を相談してくる人があるが、困ってしまうとのことだった。古本屋さん自身は、よほどひどい状態のものでなければ自分で直せるし、むしろ「改良」に当たらないよう自分で直せる範囲でしか直さない。職人である師匠は「こわれるとわかっているような無線綴じ本は作らない、100年保つつもりで作るし、修繕するときもなるだけ」と言っていたから、考え方の違いを如実に感じた次第だった。ひとくちに修繕とは言っても、修復(現状を保たせる、あるいは原型に近づける)なのか改良・リメイクになるのかは常に念頭に置かねばならないのだろう。

20181115【製本修行】弟子入り1日目 こわし

職場でひとり倒れ、しわ寄せが来ていたが、それどころではない。定時で切り上げて移動中におにぎりを詰め込んで、待ちに待った教室の日。
下記の通り課程を考えてくださった。

修繕本コース 全4回シリーズ
1こわし+補修
2とじ+背がため
3修繕製本における表紙張り
4修繕製本における箔入れ

持ち込んだ糸綴じ本はそんなにボロボロではないが、なんとかなるそう。

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ガリバーの背表紙を剥がしていたら、こんなものが隠れていた。

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今まで隠れていたものが出てくるの、おもしろいね。

あっという間の2時間。また来週時間を作るつもり。
おやつまでいただいてしまって、カップとソーサーが可愛かった。

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20181110日記

おとといは調べ物のため、久しぶりに図書館へ寄った。製本関連の本が6冊、町田康が1冊、ティーンのころ読んでいたシリーズの続きのノベルズを2冊。さらに予約を2冊ぶん依頼する。
帰宅後、ビールを飲みながら軽いものから読んでいると、ページの隙間からからレシートの下半分が出てきた。裏返すと買い物リストとおぼしき食品の羅列。献立にポトフがあるみたい。レシートは切り取られていて日付がわからない。
4時ごろに就寝、10時に起床、青い空が覗いて慌ててシーツを洗濯。久しぶりにジーンズに足を通す。口べには薄くし、郵便局で郵便を受け取り、大正8年からそこにあるらしいパン屋に寄り、緊張しているようだと思う。
12時39分、目的のバス停で降りる。徒歩30秒で、窓が開け放されている個人宅の1階が目に入った。大きな機械と人影。20分も前に到着してしまった。
10分ほど近所をうろうろして、午後の光に角度がつきはじめた季節を思う。陽射しが眩しい。
12時56分、インターホンを押す。
そうしてわたしは、初めて製本所に入り、手製本と活版印刷の体験を得た。
そんなことが本当にうまくいくわけがないと思っていたが、工房を出たのが17時半、深く頭を下げて工房を出たときにはわたしは弟子になっていた。師匠の娘さんのご厚意で家の近くまで送っていただき、再び深く頭を下げながら、夢のようだと思った。
3日前に思い詰めてから、仕事にならないくらい製本のことばかり考えていた。綴じることと直すこと。100年後に遺るものを作ること。それはこれまでの生き方を考え直すということでもあった。非正規で働きながら、やりたいと思ったこと(執筆・アクセサリー作り・音楽)を全部同時にやっていて、すべてが満足に近かった。けれど、29歳と5日後に生まれて初めて体にメスを入れてから1ヶ月。これからも、「死ぬよりマシ」なほうを常に選択し続けて生きなければならない、そうすると決めたとき、わたしはかつてないくらい真剣にものごとを考え始めた。消耗品を作っている場合ではない。結婚もしておらず、子どもを産めるとも限らず、多く見積もっても人生あと3分の2しかない。わたしが死ぬとき、何が遺せる?
そこに浮かんだのが雪さんの所有物である数数の豪華な装幀本、稀少な限定本だった。あるいは知られていない作家や忘れられた作家を発掘する試み。学び舎で分解したまま研究者たちを歯がゆく思わせている研究書たち。わたしが死んだ後でも、文豪ではない誰かの作品を遺すことができるなら、それはきっと電子文字によってではなく、いずれ分解して朽ちゆくペーパーバックではなく、稀少でも手の掛かった、物質としての本だと直感した。

一度帰宅したが、思い直してもう一度、次は街のほうへ。
繁華街のことを「街」と言うのは穂君のが移った格好だ。
今日はもうひとつ行くことにしていた。誠光社。穂君の繋がりがあるにもかかわらず、SNSは毎日目に入るようにしているにもかかわらず、今まであえて踏み入れなかった本屋。
誠光社だけでなく、ここ数年まともに新刊書店に入っていない。理由としては、難しく考えても簡単に言ったとしても、結局は「欲しいと思える本がなかかった」。新刊チェックもろくにしていないから、欲しいと思えるかどうかなんて行ってみないとわからないのにね。ともかく本に生きている人の職場に赴くための日な気がした。
ただ、堀部さんの新刊は最初から気になっていた。書架を一通り鑑賞したあと、ただの堀部さんファンを装ってレジにゆくと(最初からサインを所望する気であった)、なんと堀部さんはわたしの顔を覚えていた。恐縮なことです。直接お話ししたのは3回め、しかも今回も前回も数年ぶりなのに、何者でもないわたしの顔を覚える堀部さんの記憶力は凄まじい。穂君を異様に評価してくれる堀部さんに相槌を打ち、「ようやく本というものに興味が出たので」とだけ言った。
帰って早速読み進め、途中ソファで眠り、翌朝目が覚めてからまた続きを読んだ。

20181107日記

アラステア画集を雪さんに返却。
サバト館が鷹峯の住所になっていることなど話題にする。
昨日『蒐める人』をお返ししたときも長話(になることがわかっていたので事前に社用メールで感想を伝えていたにも関わらず)をしたので、今日は聞きそびれいたことだけ。アラステア画集にたどりついた経緯だ。雪さんは最初何故か内緒にしようとされたが、話してくれた。(わたしが)もう忘れてはるかもしれないけど、と控えめに笑いながら、数ヶ月前にお借りしたまま(!)の本の中に日夏耿之介という詩人が紹介されており、その人の訳した『サロメ』の挿絵を描いていたのがアラステアだったという。おなじサバト館から出されており、そのうち山崎俊夫『美童』の挿絵と同じと気付かれたとか。そのようにしてインターネッツでは出てこない作家や画家のことを知っていったらしい。そのときの興奮がわかるようだ。その流れで『埴原一亟小説集』(山本善行撰)の話をされたと思うのだが、それが何かわかったのはその夜丸善に行ったからだ。
また、『蒐める人』の中では江戸川乱歩の『貼雑年譜』に興味がわいたらしい。わたしも文献という意味で大いに賛同した。感想メールの中で、
「(略)江戸川乱歩の貼雑帖の復刻の話、ああいう話はとても興味深いですね!
サバト館のアラステア画集を拝見したばかりだからでしょうか、 
少部数でも出版したいのだという強い思いと苦労が想像できるようです。 
自分が死んでも偉人の功績を後世に遺すことが出来るなら、そんな仕事もしてみたいものです。 」
と言ったが、雪さんのようなコレクターとお話していると、なんとなくやりたいことが見えてきた気がする。
小学生から高校までは絵本から児童文学、青春小説の読書。大学から古典とその研究。本願寺で宗宝の収集・保管・修復・展示の経験をし、コピーライターの肩書きと編集・校正のキャリアを積むために広告代理店に勤めた。執筆は中学生から細々と続け、5、6年前からは仲間で同人誌を作り読書会を重ねてきた。そういえば、大学の就活で(あのお寺を見つける前に)教授に相談したのは文化財の修復保存に興味があるということだった。そういえばわたしは、古い物を遺すことにおいて、人一倍関心が高いのだ。母に教えてもらった絵本『ルリユールおじさん』のこともある。なのにわたしは、今まで、本に関わってきた中で、自分で書く小説やミーハーな読書など本の中身への関心ばかりで、本のことを真剣に考えたことがなかった。
本に関わるあらゆることをしたい。『蒐める人』を読んでから、本を作ること(編纂などを含む)そのものにも初めて興味がわいた。「京都で出版社を作らないか」って言ったら穂君はなんて言うだろう。仕事中なのに電話してみた。こんなことは何年も前、寺の業務で畑にいたときにちょうど穂君から電話があって、「今夜シャラポアと屯風で飲もう」と言われた時以来だとおもう。今やまじめになった彼は、当然仕事中。ソワソワしながら定時までやりすごす。
その夜は委託ボックスの在庫を確認する予定にしていて、とてもそれどころではなかったが、とりあえず予定をこなそうと街へ。委託ボックスを本棚にできないかな、などと考えてもみる。作品が何個か売れている、また納品に行かねば。ありがたいことなのに、迷いが生じる。もしこの先、本に人生をかけるなら、定期的な作品作りは難しくなるだろう…。
電話の折り返しがあるまで、どこかでコーヒーでも飲みながら雪さんに借りた『編む人』を読もうかと思っていたが、穂君の職場なら目と鼻の先にあるではないか。本来なら職場に押しかけるのは気が引ける、今まで1度あるが、あのときは誕生日にくれた谷川俊太郎の詩集のお礼に、彼が気まぐれにナンプラーにはまっていたというだけで三条の明治屋で何種類か見繕ったものをビニール袋に入れたまま渡しに行ったのだった。彼の担当の書架が変わっていなければ、地下2Fにいるはずだ。
大きな本屋に憧れて京都に来たのに、新刊本屋によりつかなくなって久しい。そのうえ丸善にたどり着こうと思ったら、あのオシャレな1Fフロアを通らねばならない。マリアージュフレールの茶葉のにおいがエスカレーターまで追いかけてきて、その鏡に映った自分を見てげんなりする。トレンチコートに黒リュック、白スニーカーがひどくやぼったいのは、病み上がりで服を選ぶ元気がなかったから。
背の高い書架に圧倒されながら、どこかでこのおびただしい量の新刊本を怖いと思う。出版したいならこの中に割り込ませないといけない、そんなことができるだろうか?担当書架に穂君はおらず、その隣の書架担当の友人も見えなかったのでうろついていると、キャスター付きの棚を転がしてくる背の高い男性が柱の影にちょうど隠れた。コンマ5秒でも視認できれば充分。穂君だ。彼が再び柱の影から現れるまでに視線を外したが、しらばっくれる必要もないので片手を上げて軽く挨拶した。彼がいつもやるように。
ちょっと目を見開いた様子に、やはり午後の電話には気付かなかったのだろう、すでに残業タイムに突入しているらしいが、改まった話でもないので単調直入に聞こうと思った、けれど、いざ面と向かって言おうとするとなんだか言葉が出てこない。困ったので、とりあえず近況を聞いた。そうだ、今まで忘れていたけど彼も今月、ある本の制作に携わっている。共通の知人の文章を本にしたい依頼があって、同人誌を作ってきた関係で頼まれたということだったが、我々の同人誌よりレベルの高い装丁になりそうな話だった。そうだった、彼もある意味出版・編集をしているということなのだった。反対に、わたしはここに来て自分のプレゼンの準備がなにもできていない。「京都で出版社を作らないか」なんとか言えたにも関わらず、穂君は業務中の変化の起伏の小さい表情のまま面食らったようだが、具体的に出したいものがあって「出版」方法を考える彼と今のわたしではやりたいことの本質が違う気がした。彼は「つてがあるの?」とまっとうな質問をし、ないと答えると、「誰かの何かを出したいってこと?」と問うた。それはいずれ我我の『しんきろう』もちゃんと本にしたいし、雪さんの全集は作りたいし、けれどなにもそれが目的ではない、出版・販売だけが目的というわけではない。本にまつわるあらゆることをするための場としての出版社という規格で言ったのだが、これはちゃんと整理して詰めないとダメだと10秒経たぬうちに判断した。だからわたしはダメなんだ...途方に暮れてしまったわたしを見かねて穂君は手探りで書店員らしいアドバイスに及んだ。丸善にはミシマ社や誠光社の本のコーナーがあった(後日彼自身の企画だと情報を得た)。そこに『埴原一亟小説集』(山本善行撰)を見つけ、それが昼間雪さんが言っていた本だったのだ。試しにサバト館(書けないよね~と笑い合う)の名前を出してみるとそれもちゃんと知っていた。なんだか昼の雪さんとの会話の続きをしているような不思議な状況だった。好みの違う二人でも書店員と読書家ならそれはおかしなことではないのだろうな、不勉強なわたしにはそれすら判らない。
ともかく礼を言ってしばらく検分してみた、誠光社の本は誠光社で買おうと思って、営業時間が終わるまでは昼間雪さんの話していた日夏耿之介を探したりしてみた。幻想文学を集めた棚では以前雪さんが貸してくれた尾崎翠の研究本が置いてあり、その研究をしている人はたまたま母校の先輩で、博士課程の友人が論文を読ませてくれたことがある。さては雪さんはけっこう丸善に通っていそうだ。
帰宅、適当に食べものを口にし、スマホ片手に調べ物。昼間はルリユールのことも考えていたが、次は製本をメインに調べてみると、なんと家からバスで6分のところに製本所がある。体験もできる。求めていれば見つかるということだろうか。まずはそこへ行ってみるしかない。