活字をこえて

製本と修繕を習っています。本に関することや考えたことの記録。

20181107日記

アラステア画集を雪さんに返却。
サバト館が鷹峯の住所になっていることなど話題にする。
昨日『蒐める人』をお返ししたときも長話(になることがわかっていたので事前に社用メールで感想を伝えていたにも関わらず)をしたので、今日は聞きそびれいたことだけ。アラステア画集にたどりついた経緯だ。雪さんは最初何故か内緒にしようとされたが、話してくれた。(わたしが)もう忘れてはるかもしれないけど、と控えめに笑いながら、数ヶ月前にお借りしたまま(!)の本の中に日夏耿之介という詩人が紹介されており、その人の訳した『サロメ』の挿絵を描いていたのがアラステアだったという。おなじサバト館から出されており、そのうち山崎俊夫『美童』の挿絵と同じと気付かれたとか。そのようにしてインターネッツでは出てこない作家や画家のことを知っていったらしい。そのときの興奮がわかるようだ。その流れで『埴原一亟小説集』(山本善行撰)の話をされたと思うのだが、それが何かわかったのはその夜丸善に行ったからだ。
また、『蒐める人』の中では江戸川乱歩の『貼雑年譜』に興味がわいたらしい。わたしも文献という意味で大いに賛同した。感想メールの中で、
「(略)江戸川乱歩の貼雑帖の復刻の話、ああいう話はとても興味深いですね!
サバト館のアラステア画集を拝見したばかりだからでしょうか、 
少部数でも出版したいのだという強い思いと苦労が想像できるようです。 
自分が死んでも偉人の功績を後世に遺すことが出来るなら、そんな仕事もしてみたいものです。 」
と言ったが、雪さんのようなコレクターとお話していると、なんとなくやりたいことが見えてきた気がする。
小学生から高校までは絵本から児童文学、青春小説の読書。大学から古典とその研究。本願寺で宗宝の収集・保管・修復・展示の経験をし、コピーライターの肩書きと編集・校正のキャリアを積むために広告代理店に勤めた。執筆は中学生から細々と続け、5、6年前からは仲間で同人誌を作り読書会を重ねてきた。そういえば、大学の就活で(あのお寺を見つける前に)教授に相談したのは文化財の修復保存に興味があるということだった。そういえばわたしは、古い物を遺すことにおいて、人一倍関心が高いのだ。母に教えてもらった絵本『ルリユールおじさん』のこともある。なのにわたしは、今まで、本に関わってきた中で、自分で書く小説やミーハーな読書など本の中身への関心ばかりで、本のことを真剣に考えたことがなかった。
本に関わるあらゆることをしたい。『蒐める人』を読んでから、本を作ること(編纂などを含む)そのものにも初めて興味がわいた。「京都で出版社を作らないか」って言ったら穂君はなんて言うだろう。仕事中なのに電話してみた。こんなことは何年も前、寺の業務で畑にいたときにちょうど穂君から電話があって、「今夜シャラポアと屯風で飲もう」と言われた時以来だとおもう。今やまじめになった彼は、当然仕事中。ソワソワしながら定時までやりすごす。
その夜は委託ボックスの在庫を確認する予定にしていて、とてもそれどころではなかったが、とりあえず予定をこなそうと街へ。委託ボックスを本棚にできないかな、などと考えてもみる。作品が何個か売れている、また納品に行かねば。ありがたいことなのに、迷いが生じる。もしこの先、本に人生をかけるなら、定期的な作品作りは難しくなるだろう…。
電話の折り返しがあるまで、どこかでコーヒーでも飲みながら雪さんに借りた『編む人』を読もうかと思っていたが、穂君の職場なら目と鼻の先にあるではないか。本来なら職場に押しかけるのは気が引ける、今まで1度あるが、あのときは誕生日にくれた谷川俊太郎の詩集のお礼に、彼が気まぐれにナンプラーにはまっていたというだけで三条の明治屋で何種類か見繕ったものをビニール袋に入れたまま渡しに行ったのだった。彼の担当の書架が変わっていなければ、地下2Fにいるはずだ。
大きな本屋に憧れて京都に来たのに、新刊本屋によりつかなくなって久しい。そのうえ丸善にたどり着こうと思ったら、あのオシャレな1Fフロアを通らねばならない。マリアージュフレールの茶葉のにおいがエスカレーターまで追いかけてきて、その鏡に映った自分を見てげんなりする。トレンチコートに黒リュック、白スニーカーがひどくやぼったいのは、病み上がりで服を選ぶ元気がなかったから。
背の高い書架に圧倒されながら、どこかでこのおびただしい量の新刊本を怖いと思う。出版したいならこの中に割り込ませないといけない、そんなことができるだろうか?担当書架に穂君はおらず、その隣の書架担当の友人も見えなかったのでうろついていると、キャスター付きの棚を転がしてくる背の高い男性が柱の影にちょうど隠れた。コンマ5秒でも視認できれば充分。穂君だ。彼が再び柱の影から現れるまでに視線を外したが、しらばっくれる必要もないので片手を上げて軽く挨拶した。彼がいつもやるように。
ちょっと目を見開いた様子に、やはり午後の電話には気付かなかったのだろう、すでに残業タイムに突入しているらしいが、改まった話でもないので単調直入に聞こうと思った、けれど、いざ面と向かって言おうとするとなんだか言葉が出てこない。困ったので、とりあえず近況を聞いた。そうだ、今まで忘れていたけど彼も今月、ある本の制作に携わっている。共通の知人の文章を本にしたい依頼があって、同人誌を作ってきた関係で頼まれたということだったが、我々の同人誌よりレベルの高い装丁になりそうな話だった。そうだった、彼もある意味出版・編集をしているということなのだった。反対に、わたしはここに来て自分のプレゼンの準備がなにもできていない。「京都で出版社を作らないか」なんとか言えたにも関わらず、穂君は業務中の変化の起伏の小さい表情のまま面食らったようだが、具体的に出したいものがあって「出版」方法を考える彼と今のわたしではやりたいことの本質が違う気がした。彼は「つてがあるの?」とまっとうな質問をし、ないと答えると、「誰かの何かを出したいってこと?」と問うた。それはいずれ我我の『しんきろう』もちゃんと本にしたいし、雪さんの全集は作りたいし、けれどなにもそれが目的ではない、出版・販売だけが目的というわけではない。本にまつわるあらゆることをするための場としての出版社という規格で言ったのだが、これはちゃんと整理して詰めないとダメだと10秒経たぬうちに判断した。だからわたしはダメなんだ...途方に暮れてしまったわたしを見かねて穂君は手探りで書店員らしいアドバイスに及んだ。丸善にはミシマ社や誠光社の本のコーナーがあった(後日彼自身の企画だと情報を得た)。そこに『埴原一亟小説集』(山本善行撰)を見つけ、それが昼間雪さんが言っていた本だったのだ。試しにサバト館(書けないよね~と笑い合う)の名前を出してみるとそれもちゃんと知っていた。なんだか昼の雪さんとの会話の続きをしているような不思議な状況だった。好みの違う二人でも書店員と読書家ならそれはおかしなことではないのだろうな、不勉強なわたしにはそれすら判らない。
ともかく礼を言ってしばらく検分してみた、誠光社の本は誠光社で買おうと思って、営業時間が終わるまでは昼間雪さんの話していた日夏耿之介を探したりしてみた。幻想文学を集めた棚では以前雪さんが貸してくれた尾崎翠の研究本が置いてあり、その研究をしている人はたまたま母校の先輩で、博士課程の友人が論文を読ませてくれたことがある。さては雪さんはけっこう丸善に通っていそうだ。
帰宅、適当に食べものを口にし、スマホ片手に調べ物。昼間はルリユールのことも考えていたが、次は製本をメインに調べてみると、なんと家からバスで6分のところに製本所がある。体験もできる。求めていれば見つかるということだろうか。まずはそこへ行ってみるしかない。