活字をこえて

製本と修繕を習っています。本に関することや考えたことの記録。

20181110日記

おとといは調べ物のため、久しぶりに図書館へ寄った。製本関連の本が6冊、町田康が1冊、ティーンのころ読んでいたシリーズの続きのノベルズを2冊。さらに予約を2冊ぶん依頼する。
帰宅後、ビールを飲みながら軽いものから読んでいると、ページの隙間からからレシートの下半分が出てきた。裏返すと買い物リストとおぼしき食品の羅列。献立にポトフがあるみたい。レシートは切り取られていて日付がわからない。
4時ごろに就寝、10時に起床、青い空が覗いて慌ててシーツを洗濯。久しぶりにジーンズに足を通す。口べには薄くし、郵便局で郵便を受け取り、大正8年からそこにあるらしいパン屋に寄り、緊張しているようだと思う。
12時39分、目的のバス停で降りる。徒歩30秒で、窓が開け放されている個人宅の1階が目に入った。大きな機械と人影。20分も前に到着してしまった。
10分ほど近所をうろうろして、午後の光に角度がつきはじめた季節を思う。陽射しが眩しい。
12時56分、インターホンを押す。
そうしてわたしは、初めて製本所に入り、手製本と活版印刷の体験を得た。
そんなことが本当にうまくいくわけがないと思っていたが、工房を出たのが17時半、深く頭を下げて工房を出たときにはわたしは弟子になっていた。師匠の娘さんのご厚意で家の近くまで送っていただき、再び深く頭を下げながら、夢のようだと思った。
3日前に思い詰めてから、仕事にならないくらい製本のことばかり考えていた。綴じることと直すこと。100年後に遺るものを作ること。それはこれまでの生き方を考え直すということでもあった。非正規で働きながら、やりたいと思ったこと(執筆・アクセサリー作り・音楽)を全部同時にやっていて、すべてが満足に近かった。けれど、29歳と5日後に生まれて初めて体にメスを入れてから1ヶ月。これからも、「死ぬよりマシ」なほうを常に選択し続けて生きなければならない、そうすると決めたとき、わたしはかつてないくらい真剣にものごとを考え始めた。消耗品を作っている場合ではない。結婚もしておらず、子どもを産めるとも限らず、多く見積もっても人生あと3分の2しかない。わたしが死ぬとき、何が遺せる?
そこに浮かんだのが雪さんの所有物である数数の豪華な装幀本、稀少な限定本だった。あるいは知られていない作家や忘れられた作家を発掘する試み。学び舎で分解したまま研究者たちを歯がゆく思わせている研究書たち。わたしが死んだ後でも、文豪ではない誰かの作品を遺すことができるなら、それはきっと電子文字によってではなく、いずれ分解して朽ちゆくペーパーバックではなく、稀少でも手の掛かった、物質としての本だと直感した。

一度帰宅したが、思い直してもう一度、次は街のほうへ。
繁華街のことを「街」と言うのは穂君のが移った格好だ。
今日はもうひとつ行くことにしていた。誠光社。穂君の繋がりがあるにもかかわらず、SNSは毎日目に入るようにしているにもかかわらず、今まであえて踏み入れなかった本屋。
誠光社だけでなく、ここ数年まともに新刊書店に入っていない。理由としては、難しく考えても簡単に言ったとしても、結局は「欲しいと思える本がなかかった」。新刊チェックもろくにしていないから、欲しいと思えるかどうかなんて行ってみないとわからないのにね。ともかく本に生きている人の職場に赴くための日な気がした。
ただ、堀部さんの新刊は最初から気になっていた。書架を一通り鑑賞したあと、ただの堀部さんファンを装ってレジにゆくと(最初からサインを所望する気であった)、なんと堀部さんはわたしの顔を覚えていた。恐縮なことです。直接お話ししたのは3回め、しかも今回も前回も数年ぶりなのに、何者でもないわたしの顔を覚える堀部さんの記憶力は凄まじい。穂君を異様に評価してくれる堀部さんに相槌を打ち、「ようやく本というものに興味が出たので」とだけ言った。
帰って早速読み進め、途中ソファで眠り、翌朝目が覚めてからまた続きを読んだ。